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森 摂 (理事長)

Setsu MORI


雑誌「オルタナ」編集長。NPO法人ユナイテッド・フィーチャー・プレス(ufp)代表。東京外国語大学スペイン語学科を卒業後、日本経済新聞社入社。 流通経済部などを経て 1998年-2001年ロサンゼルス支局長。2002年9月退社。同年10月、ジャーナリストのネットワークであるNPO法人ユナイテッド・フィーチャー・プレス(ufp)を設立、代表に就任。 取材・執筆対象は産業、経済、企業論、マーケティング論、ブランド論など。主な著書に『ウェブ時代の英語術』(NHK出版、馬越恵美子桜美林大学教授と共著、2005年4月)、『ブランドのDNA』(日経ビジネス、片平秀貴・元東京大学教授と共著、2005年10月)などがある。パタゴニア創業者イヴォン・シュイナードの経営論『社員をサーフィンに行かせよう』(東洋経済新報社、2007年3月)を翻訳。

 

ジャンル

経済・産業全般、グローバル経済、マーケティング論、ブランド論、企業論、ブランドとインターネット、危機管理、経営ビジョン、英語教育、インターネット論
 

掲載記事

「世界トップブランド徹底解剖〜ブランドはヒトがつくる」( アソシエ掲載記事 )
世界の舞台で揺らがぬブランド力を持つ企業は、社員にブランドを浸透させる術に長けている。
時代を超えて、強いブランドを維持する秘訣は何なのか。企業のブランドを今号より連載で徹底解剖する。

【第1回】 ネスレ〜 世界中から社員が集う「リブレイン」の秘密
【第2回】 花王 〜危機を救った絶えざる革新
【第3回】 ハーレーダビッドソン 〜日本でハーレーブランドを輝かせる男
【第4回】 パタゴニア 〜"Let my people surf" が教えること

 

執筆例

外国人集住都市は日本の近未来

新潮社フォーサイト2004年4月号掲載

 

日本に「外国人集住都市」と呼ばれる自治体があることは意外に知られていない。豊田市、浜松市、群馬県大泉町など十五市町。トヨタ自動車、ヤマハ、三洋電機などのメーカーが主力工場を置くこれら「モノづくり」の拠点都市は、今や外国人抜きには発展し得ないといっても過言ではない。二〇〇六年に日本の人口が減り始め、国や地方の活力をどう維持するかが課題となるなかで、外国人とともに生きようとするこれらの都市は「日本の未来像」としての存在感を高めつつある。

 

愛知県豊田市の郊外、和会(かずえ)町。建設中の「第二東名」の高架が田んぼを貫く。この辺りはトヨタ自動車の二次・三次下請け工場が百近くも集積する企業城下町だ。こうした工場群が、世界に冠たるトヨタの製造ケイレツを支えている。その一つ、奥田工業は市内に二つの工場を持っている中堅のアルミダイカストメーカーだ。

 

ここで作られるのは、エンジンやミッション周りのアルミ鋳造部品。月の出荷点数は百万個を超える。ホンダや富士重工にも出荷しているが、八割はトヨタ向けだ。「ガッチャーン」「ブシュー」とアルミ鋳造機が大きな機械音や水蒸気を出しながらアルミ部品を吐き出すたびに、作業員が黙々と部品に木槌を打ち下ろし、「バリ」をはずす。騒音と寒気のなかで単純作業を続けるのは忍耐力が要る仕事だ。

 

奥田工業が初めて日系ペルー人を採用したのは一九九〇年の暮れ。この年の六月に入管法が改正され、日系人の単純労働が認められたからだ。バブル期の当時は極端な人手不足で、やりくりに四苦八苦していた。日本人の若者を雇っても、すぐに辞めてしまう。社長夫人の奥田恭代が大学でスペイン語を専攻し、日系ペルー人の友達がいたため、ペルーから人を呼んでもらった。いまや従業員百十人のうち、十人が日系ペルー人だ。

同社は、日系人を雇う際に夫婦連れ・家族連れを条件にしている。恭代の説明によると「その方が単身赴任よりはるかに定着率が良いし、本人の精神衛生上も良いから」。日本にやってきた家族にはアパートを一緒に探してやり、子供が病気になったら病院に連れていき、通訳もする。こうした面倒はスペイン語ができる恭代がみる。国民健康保険や任意の自動車保険など、一般的に日系人があまり入りたがらない保険制度にも半ば強制的に入らせる。恭代は「ペルーで保険に入ったことがないので最初は嫌がるが、その方があとあと良いことが分かってもらえる」という。

 

カルロス・マツダ(三八)は九五年からこの工場で働く。出身地のリマではトヨタ車のディーラーに勤めていたが、義姉が先に奥田工業に勤めていたこともあり、誘われて豊田市にやって来た。

 

日本語が話せないマツダは、スペイン語で「カラダが続く限り、ここで仕事を続けたい」と、はにかむ。ペルー時代の月給は五十ドル(約五千三百円)。奥田工業での時給は千二百五十円から千三百二十円。夜勤をすれば、一日で一万円以上になる。妻のクリスティーナ(ペルー人)と共働きだから、月給は三十万円を下らない。収入面ではペルー時代と比較にならない。

 

なにより小学校五年生と保育園の娘は、もはやスペイン語より日本語の方が得意になった。たまに家族で里帰りしても、ペルーに子供の友達は少ない。だからマツダは「少なくともリタイヤするまではペルーに帰ることは考えられない」。永住権を取り、十二月には近くの公団住宅も買った。四LDKで五百万円。住宅ローンを組むには保証人がいるので、恭代になってもらった。

 

豊田市には外国人約一万一千八百人が住んでいる。入管法が改正された時、当時の法務省は数年間の労働のあと本国に帰ってもらうことを想定していたが、日本の賃金が本国に比べてはるかに高いこともあり、滞在は長期化する傾向にある。カルロス・マツダのように永住権を得て、日本に家屋を買う人も増えてきた。


このほか外国人の集住が見られるのは、愛知県の豊橋市、静岡県では浜松市や磐田市、三重県の四日市市や鈴鹿市。それに群馬県太田市、大泉町などだ。こうして列挙してみると、日本のモノづくりを支えている地域に外国人が集まっていることが分かる。彼らの大半は日系人だが、中国人やインド人のIT技術者や、米国、欧州出身者も増えつつある。

 

二〇〇一年十月には、このように外国人の比率が多い全国の十三市町が集まり、「外国人集住都市会議」を結成した。その後二都市が加わり、現在では十五市町が毎年会議を開いている。

 

その一つ、群馬県大泉町は人口四万二千人のうち約六千人が日系ブラジル人など外国人だ。外国人比率一四・七%は、自治体としては全国一。〇二年六月にサッカーワールドカップでブラジルが優勝した時には近郊からも大勢のブラジル人やブラジルファンがやってきて、サンバを踊りながら街を練り歩き、テレビや新聞でも大きく取り上げられた。

 

大泉は戦前からの中島飛行機や三洋電機の東京工場など、工業で栄えてきた。大企業だけではなく、電機関係の中小工場も集積する。工業出荷額では県内二位だ。中心を貫く大通りには立派なけやきの街路樹が並び、町の財政基盤の確かさをうかがわせる。

 

大泉に日系ブラジル人が増えたのは、九〇年ごろに町全体で工場の働き手不足が問題化していたなかで、ブラジルの姉妹都市グアラチンゲッタに人を送り、人集めしたのがきっかけ。当時の町長で、自らも従業員二百人近い電機工場の経営者だった真下正一の決断だった。グアラチンゲッタはリオデジャネイロから車で半日はかかる山間部の町。群馬出身の日系人が多かったのが縁になった。

 

現町長の長谷川洋は「もし日系人たちがいなかったら、九〇年代以降、工業の街としてこのように発展できたかどうか。真下さんの判断は間違っていなかった」と断言する。もし日系人たちを呼び込まなかったら、その後は労働力の空洞化で労務倒産も考えられたという。労働の担い手としての意味だけではない。大泉にはブラジル人向けのショッピングセンター「ブラジリアン・プラザ」があり、テナントの家電店や旅行代理店、レストランはブラジル人たちで賑わう。外国人は消費の担い手としての存在感も大きくなった。

 

大泉町は、日系ブラジル人子弟教育への積極的な取り組みでも知られる。町内に四つある小学校では「取り出し授業」と呼ばれるユニークな教育法をする。日本語の授業についていけない外国人子女を一時的に正規授業から「取り出し」て、日系ブラジル人の補助教員がポルトガル語で教え直し、また正規のクラスに戻してやる。補助教員の一人、野田恵美(二一)は小学校五年生の時に来日した。言葉を覚えるには少し遅い年齢だったが、苦労して館林女子高、保育専門学校を卒業し、今は西小でブラジルの子供たちの面倒を見ている。こうした光景を見るにつけ、町長の長谷川は「外国人との共生はできるし、していくべき」と自信を深めている。

 

カルロス・マツダが自宅を買った保見団地(豊田市)は、住民九千三百人のうち四割が日系ブラジル・ペルー人で、一地区としては外国人比率が日本で最も高い。愛知万博の会場「海上の森」にも近いこの団地を訪ねてみた。

 

道路沿いには「Proibido Parar/駐停車禁止」などと日本語・ポルトガル語の二カ国語で書かれた看板が目立つ。団地外れの空き地に、バーベキューの屋台や仮設のビリヤード場が開いていたが、昼間だったせいか人影はあまり多くない。二カ国語の看板や屋台以外は、よくある普通の団地の光景だが、総じて活気がない印象だ。高齢化が進んで、空き部屋が多いという。団地の中心部には電鉄系のスーパー「名鉄パレ」がある。人口減少で一時は閉店の危機にさらされたというが、今では外国人が増えた恩恵もあり、息を吹き返した。

 

名鉄パレの向かいには「ザ・アミーゴス」というブラジル食料品店が活況を呈していた。名古屋市に本店があり、東海地方に八店を展開している。ブラジルから輸入した食品や飲料のほか、ポルトガル語のビデオや雑誌も多い。社長の野上俊彦は「東海地方に日系ブラジル人が集まっているので、店舗展開の効率がいい。特に日曜日は周辺の市町から外国人が集まってくる。売上高は年々増えている」という。

「名鉄パレ」の二階にある「保見が丘ラテンアメリカセンター(Celaho)」を訪れると、中南米系の血が入っていると分かる子供やその親たちが百人近く集まっていた。クリスマスパーティだった。ポルトガル語のクリスマスソングやミニ演劇。観客から歓声が上がり、会は次第に盛り上がっていく。こういう光景を見ると、ラテン系特有の陽気さに驚くだけではなく、「昔の日本はもっと子供が多くて活気があった」とある種の懐かしさも覚えさせる。

 

Celahoは保見団地にあるブラジル人学校を支援するほか、日本語が話せない住民の生活相談、病院での医療通訳などを行っている。団地内には、こうした日系人を支援するNPO法人(特定非営利活動法人)が四つもある。公立の小中学校の授業についていけない子供たちに対してボランティアがポルトガル語やスペイン語の通訳をつけて授業の解説をしたり、学校になじめない子供たちの相談に乗ったりと、草の根の支援が続けられている。

 

だが、一方で、外国人が増えるに連れて、外国人を疎ましく思う住民感情が広がったのも事実だ。「ゴミだしのルールを守らない」「夜中にサンバ音楽を大音量で流して騒ぐ」などの苦情が相次いだ。九七年には、外国人と対立した右翼の街宣車が押し寄せ、機動隊員が何十人も警備にあたったこともあったという。東京都立大人文学部助教授でCelaho理事長の野元弘幸は「九〇年代前半、外国人の数が千人に満たない時には、日本人と外国人が共生していこうという空気が強かった。しかし外国人の数が二千人、三千人と増えるに連れて、摩擦や軋轢が増えてきた」と解説する。

 

今は表立った対立は沈静化し、保見団地は一見平静だ。しかし問題が根本的に解決した訳ではない。例えば、二〇〇〇年に「ザ・アミーゴス」が開店する直前には短期間で二千人の反対署名が集まった。また、三百戸近く空きがある県営住宅が年に三回、一回につき十戸ずつしか募集しないことに対して、日系人たちが反発する問題も起きた。彼らは「大量の戸数を募集すると一気に外国人が増えると県が恐れているからだ」と抗議する。

 

実は、外国人を雇う側の心情も揺れている。奥田工業社長の奥田清仁は「個人差もあるが、日系人たちは忍耐強いところがある。よくやってくれている」と肯定的にとらえる一方で「日系人の割合を三割以上にはしたくない」とも打ち明ける。彼らはあくまでアルバイトであり、正社員にならない。「そんな待遇でいくら頑張ってもモチベーションには限界がある」。なぜ正社員にしないのか、と聞くと「正社員になったら、企業年金を払わなければならない。一時滞在の外国人への受給が少ない今の年金体系では、日系人は加入することを望んでいない」と顔を曇らせた。

保見のケースは、外国人と日本人の「共生」を考える上で今後の「たたき台」になりそうだ。ゴミ出しや騒音の問題は、保見だけではなく外国人が集まる地区でよく聞こえてくるが、これらは比較的些細な問題だ。その多くは、自治会レベルの話し合いで解決する。むしろ国民感情全体のレベルで考えると「治安の悪化」が最大の関心事だろう。

 

だが、豊田市をはじめ、外国人集住都市のどの担当者に聞いても「治安は悪化していない」と異口同音に答えが返る。大泉町国際政策課長の対比地啓二も「大泉の犯罪発生率は増えていないし、その率は周辺市町とも変わらない」と断言する。「外国人登録をして合法就労している外国人は、つまらない犯罪に手を出してつかまると強制送還されるので、割りに合わないことはしないからだ」という。新聞やテレビで、外国人による犯罪増加のニュースが連日のように報じられるなかで、外国人集住都市の治安が悪化していないという事実は意外に映る。

 

だが実際、「外国人集住都市会議」が〇三年十一月に豊田市で開いたシンポジウムの主題は犯罪でも治安問題でもなく、「外国人青少年の教育と就労問題」だった。日本語が話せない外国人子女にどのように日本語教育を施していくか。卒業後の進路や就職の状況をどう改善していくか、が最大の関心事であった。

 

外国人集住都市の主張は、〇一年の発足以来変わらない。その趣旨は第一回会議が開催地の浜松市で出した「浜松宣言」に集約されている。以下に引用してみよう。

 

「定住化が進む外国人住民は、同じ地域で共に生活し、地域経済を支える大きな力となっているとともに、多様な文化の共存がもたらす新しい地域文化やまちづくりの重要なパートナーであるとの認識に立ち、すべての住民の総意と協力の基に、安全で快適な地域社会を築く地域共生のためのルールやシステムを確立していかなければならない」

 

浜松宣言では、日本語教育制度の拡充のほか、年金や健康保険など社会保障の制度見直し、外国人登録制度の利便性向上などを国に求めた。つまり地方自治体は、外国人との共生を大前提にして、外国人が暮らしやすい社会制度を国に要求しているのである。

 

十一月の会議で磐田市長の鈴木望は「外国人の子供と日本人の子供がサッカーなどを通じて交流を深めている」地域の例を紹介し、「日本と中南米という両方の文化に通じた子供たちが増えるのは地域にとってもプラス」との見解を披露した。会議後、豊田市長の鈴木公平に「外国人は選挙で票にならないのに、市長としても支援するのですね」と冗談半分に問いかけると、笑いながら「日本人にしろ外国人にしろ、いい人材を送り出すのは市の役目」と言い切った。

 

二〇〇六年をピークに日本の人口は減少に転じる。歴史的に見ると、過去の人口減少はすべて戦争・内戦や疫病、飢饉が原因であり、少子・高齢化が原因で一国の総人口が継続的に減少したことは、1980年代以降のハンガリーを除いて例がない。19世紀のアイルランドも継続的に人口が減ったが、これはジャガイモの不作による飢饉と、米国への移民が大量に発生したことが原因だった。いずれにしても日本は二年後、世界のどの主要先進国も体験しなかった事態に、最初に直面することになる。

 

「永遠の右肩下がり」が経済や社会に与える影響は甚大で広範だ。旧経済企画庁の「人口減少化の経済に関する研究会」が2000年にまとめた中間報告書によると、二〇〇五年から二〇二〇年までに総人口は二・八%減り、GDPは六・七%減る。だが、もし合法的に就労する外国人によって人口減少の速度を緩められたら、この国の未来像は違ったものになるのではないか。移民政策で失敗したとされるドイツでさえ、連立与党は「国の活力維持には移民は欠かせない」と判断、新たな移民法案を国会審議に持ち込む構えだ。

 

もし保見団地にブラジル人たちが集まらなければ、老人だけの寂れた団地になっていただろう。現に寂れつつある団地は全国のあちこちに点在する。大泉町にブラジル人がいなければ、群馬県の工業生産力は明らかに下ぶれしていた。このまま自然死を待つか。それとも新しい血を入れて地域の活力を保つか。外国人集住都市の首長たちが後者の判断を下したのは明らかだ。だが、一般的に日本人は外国人受け入れに消極的だ。犯罪の増加や受け入れによる社会コストの増加を懸念する声も根強い。その根底には言葉の壁がある。隣に外国人が住むと「コミュニケーションできないから不安」なのであり、そこに相互不信も芽生えやすい。ということは、もし外国人が日本語を話せば不安はかなり取り除かれるのではないか。

 

一つ、面白いアンケート結果がある。ライフデザイン研究所(現第一生命経済研究所)が二年前に実施した「外国人労働者問題に関する意識調査」(回答五百六十四人)だ。それによると「外国人が増えると犯罪が増えたり、スラム化したりすると思うか」との問いに対して、「そう思う」+「まあそう思う」が六七%にのぼった。これは予想通りだが、その一方で在宅介護や家政婦、保母・保父などのサービスについて「日本語が通じるのであれば、外国人であっても利用したい」とする答えが各項目でいずれも六−八割に達している。

 

もし仮に、高卒程度の日本語能力を取得した外国人に数年間の労働ビザを与える制度ができればどうなるか。日本語を話せる外国人なら地域に溶け込みやすいし、職も得やすい。なにより、日本語で一定の学力をつけるためには勤勉さと学習意欲の高さを求められる。これは外国人導入の「安全装置」としてかなり重要な要素になる。日本語の学習者が増えると、日本語の教育市場が拡大するとともに、長期的には日本ファンが増え、外交上のメリットも見込まれる。また、磐田市長の鈴木望が指摘するように「多様性による地域の活性化」の効果も見逃せない。

 

やみくもな移民導入ではない、日本語を軸にした新しい「選択的移民制度」の導入を検討する時期が近づいている。外国人集住都市の市長や町長たちが摩擦や社会問題が起きているのにかかわらず外国人との共生に取り組んでいるのは、外国人導入のデメリットよりメリットの方が多いと判断したからに他ならない。彼らに共通して言えることは、「すでに腹を括った」(鈴木望)ことである。

 

日本経済団体連合会の奥田碩会長など、外国人受け入れに積極的な財界人も多い。労働人口の減少、経済力の低下、国家の衰亡という道を歩むのかどうか。日本はその岐路に立っている。